マンションの寿命?何年もつの?

マンションの寿命

都市部では一戸建てよりマンションの上層階の方が採光・通風が良く人目も気になりません。狭い戸建より住み心地が良いです。とはいえ、マンションには建物の維持管理・資産価値・居住性等、戸建てとは異なる課題があると感じる人が多いはず。そうしたことを調べてみました。

文春新書「マンションは大丈夫か 住居として資産として(小菊豊久)平成12年初版」が参考になりました。この本はマンションの歴史、建物の構造の問題等を明らかにした良書です。(絶版になっています)

マンションを購入する際には「何年もつのか?」「最後はどうなるんだろう?」ということが気になります。この点について識者に共通する結論はでていないそうです。日本の税務上の法定耐用年数は60年とされていますがこれを寿命と考えるのは怪しく、米国の法定耐用年数は27.5年と規定されているそうです。税務上の話ですが。

ちなみにバブル世代にはおなじみの赤坂プリンスホテルは30年で取り壊されました。最近では帝国ホテルの建て替え計画も報じられました。タワー館が38年、本館は50年で建て替えられることになったそうです。民間の分譲マンションより優れた建築物で管理も行き届いているビルがこの寿命とはちょっと驚きです。商業ベースで建て替えが妥当という判断もあるのでしょうが、やはり主因は老朽化。最新のインターナショナルクラスのホテルに劣後する建物になってしまったということでしょう。

「マンションは大丈夫か 住居として資産として」によればマンションの寿命が尽きるのは次の3つのときだそうです。

マンションの寿命が尽きるとき
  1. 物理的命数。老朽化が進行し倒壊のおそれがあるなど、住居としての使用が困難になったとき。
  2. 経済的命数。補修工事に費用をかけるよりも、建て替えた方が安上がりになったとき。
  3. 社会的命数。建物が人々のニーズなど社会の要請に応えられなくなったとき。

コンクリートの躯体が何年もつかということではなく、いろいろな要因で寿命がつきるということです。初期のマンションが短命に終わったのもコンクリートの「もち」の問題ではなく、豊かになっていった庶民の生活水準からみても古いマンションの広さや設備が相対的に劣悪になり「社会的命数」が早く尽きたということです。

マンションの歴史

日本の「マンションブーム」第1回目は1963年東京オリンピックのころでした。その後1995年まで6回のブームがあったといいます。1963年当時のマンションは都心立地で平均価格は531万円、そのころの京浜地区の勤労者の平均世帯年収は57.9万円。主な購入者は会社役員。マンション価格は勤労者年収の約10倍でした。

これが1993年~1995年の第6次マンションブームのころには、準郊外立地、平均価格は4千万円台、京浜地区勤労者の平均世帯年収は856万円となっています。マンション価格は勤労者年収の4.85倍と低下しています。富裕層向けの高級住宅から、庶民の住宅へと変貌していきました。当初コンクリート住宅の建築ノウハウは未確立で、いろいろな問題を経験しながら試行錯誤が重ねられます。

日本のマンションの問題点

ヨーロッパでは築後200年、300年をへた集合住宅を普通にみかけますが、これはレンガ積みや石積みで作られているためで、傷んだ部分があればそこだけ取り替えることができ、補修費用をそれほどかけなくても半永久的な寿命をもつことができるそうです。

ところが地震国日本では耐震性確保のために、鉄筋をいれたコンクリートでマンションを作らざるをえません。また鉄筋はいずれ錆びてしまい、交換もできないとのことです。これについてはコンクリートの強化策等の技術も進歩してきているものの、コストが嵩むことから、かならずしもすべてのマンションの品質が向上しているわけではないようです。また、日本ではコンクリートの材料となる良質な砂利も不足気味で海砂を洗って使っているような業者もいるとのこと。素人にはなかなかわからない問題が多く潜在しています。

そのほかにも日本の住宅にはいろいろな課題があります。昭和課長は、ロンドン・ニューヨーク・香港のマンションに住んだことがあるのですが、欧米の住宅では寝室にバス・トイレが隣接しているのが普通です。今後高齢化が進むとますますその住みやすさが注目されると思います。バス・トイレはパブリックスペースではなく、プライベートスペースなのです。例えばこんな感じですね。また、寝室が2つあれば、それぞれにバスルームがついています。香港のように居住環境の悪いところでも中流クラスではこれが普通です。

日本の住宅では戸建て・マンションを問わず、バスルームはパブリックスペースになっており、家族がいるリビングルームをバスタオルとパンツ一丁でお父さんが行き来するというのが一般的ではないでしょうか。こんなことは欧米の中流家庭では無いわけです。

それから「ウナギの寝床」と揶揄されている南面が狭く細長い間取りは日本でしか経験がありません。これは本当にせこい考え方で生まれた間取りだと思います。最低限の南向きを確保しながら狭い敷地に戸数の多い住宅を作ろうという、供給側優先の発想によるものです。

マンション広告で「南面ワイド」というキャッチフレーズをみかけますが、これはむしろ普通で「南面ナロー」が異常ということです。

長持ちするマンションとは

長持ちするマンションは、外断熱・スケルトンインフィル工法を採用し階高の高さ、部屋の広さを十分確保した物件だとされています。

外断熱はコンクリート躯体を寒暖差の激しい気候から守り、劣化を防ぎます。コンクリート自体の蓄熱性を利用できるので暖冷房の効きも良くなります。

スケルトンインフル工法はコンクリートの躯体と配管を分離し、給排水管(共用部の竪管も私有部分の床下配管もすべて)が交換可能なつくりのことです。

最近リノベーションマンションが一部で人気化していますが販売員に「竪管はどうなっていますか?」と聞いてみてください。いやな顔をされるでしょう。

コンクリート躯体に埋め込まれていて数十年たったまま交換ができない物件もあるはずです。間取り図をみると部屋の水回りのそばにPSと書いてある場合があります。これはパイプスペースのことです。下の間取り図をみると、部屋の中に竪管があることがわかります。これは容易に交換できません。古くなった管を掃除したり、錆をとったり延命策もあるようですが、寿命がくれば建物ごと取り壊す想定といえます。

竪管のPSが私有部分ではなく、共有部分にあり各住戸の私有部分に無影響で交換が容易なつくりになっていればベターです。

階高は天井の高さとは別物です。ビルを遠くから眺めると、同じ5階建てでも高さが違うことがあることに気づきます。古いビルは階高が低くなっていますが、最新のインテリジェントビルは階高が高く、床下のスペースが確保できるため配管・配線しやすくなっています。

階高が高いと水回りを部屋のどこに配置しても、床下の排水管に傾斜をつけ、排水を竪管まで誘導できます。ですから、各部屋のオーナーは水回りの位置も含めて自由に間取り変更することができます。米国のマンションは内装無しのコンクリート剥き出しのまま売買され、購入者は水回りの位置も含めて自由に内装を決めるそうです。

日本では、外断熱・スケルトンインフィル工法はほとんど採用されていません。これにチャレンジしている例に「(株)明豊エンタープライズのSHELLZE(シェルゼ)事業」があります。テレビ東京で取り上げられていたこともありました。ですが、あまり儲からないからなのか物件供給は途絶えているようです。

消費者はどうしても将来のことより目先の「買いやすさ」を求めるので、品質勝負は企業経営の面で難しいのでしょう。

結び

「形あるものはいつかわ壊れる」ことになっていますから、マンションに寿命があるのもしょうがないことです。しかし、人生100年時代というのですから、人の寿命より建物の寿命が短いとなると、老後困る人が続出してしまいます。マンションの購入を否定することはありません。しかし、こうした知識をしっかり持ってなるべく長寿の良質物件を選ぶことが大事です。このあたりは、供給者側の「あたりまえ」の基準が大幅に改善されないと現実には難しいですね。

福田内閣(平成19年9月23日~平成20年9月22日)が「100年住宅」の実現を政策課題にしたことがありましたが、国交省や大手ゼネコンが非協力的だったと記憶しています。

消費者庁設置は国民目線の行政を追求したものであり、総理就任以前より手掛けていた「百年住宅」構想制度は資源を節約し、国民の生涯負担を軽減するものです。

自民党の歴史 福田康夫総裁時代

福田内閣は短命で評判も良くありませんでしたが、政策の筋は良かったと思います。外務大臣経験のある川口順子氏が国交省との議論で、非協力的な態度に匙をなげていたのを見聞きした記憶があります。その後この政策が継承されなかったのも残念です。人気のあった小泉内閣の郵政民営化より、こちらの方が国民の利益になったと思います。

マンションの寿命が尽きる前に高値で売り逃げるという出口はインフレの続く時代には可能でした。アベノミクス後マンション価格が上昇したという説もありますが、個別のケースでは区々。高くなったら高くなったで、買い替え先の物件も高くなるわけです。また、マンションの寿命の問題は価格とは別物です。建て替えに係る合意形成の難しさも良く聞きます。

「賃貸マンション」の賃料を払う方が居住性と経済合理性を満たす選択肢という考え方もあるでしょう。

思案のしどころです。

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