私は20年以上、賃貸を選び続けた。その選択が正しかったかどうかは、別の記事で検証した通りだ。
ここで書きたいのは、「賃貸が得か、持ち家が得か」という話ではない。今の若い世代が住宅を取得しようとするとき、何を問い、何を問わないままにしているか──そのことが気になっている。
バブル期より高い、という事実
東京23区の新築マンション平均価格は、2024年時点で1億円を超えた。バブル崩壊直前の1990年でさえ、首都圏の平均は約6,100万円だった。名目価格では、今の方がはるかに高い。
「でも金利が違う」という反論はその通りだ。当時の住宅ローン金利は5〜6%台、今は変動金利で1%未満の時代だから、月々の返済額だけ見ればバブル期より今の方が軽い。
ただし年収倍率で見ると話が変わる。首都圏の平均年収に対する新築マンション価格の倍率は、バブル期の8.5倍を超え、2023年時点で10.1倍に達している。月々の返済は軽くなっても、借りる元本の絶対額は膨らみ続けている。
「二馬力」は豊かさの拡大ではない
今の若い世代が区部のマンションを狙えるのは、共働きとペアローンによって世帯収入を最大化しているからだ。首都圏の新築マンション購入世帯の平均世帯年収は1,100万円を超え、ペアローンの利用率も過半数に達している。
しかしここで立ち止まって考えてほしい。
かつて妻の収入は「余力」だった。今は「それがなければローンが組めない」という必要条件に変わっている。二人で働いて豊かさが広がったのではなく、二人で働かなければ以前の水準が維持できない構造になっている、という見方もできる。
アメリカの法学者エリザベス・ウォーレンが2003年に指摘した「二重収入の罠」──共働きになるほど固定費が増え、どちらかの収入が途絶えたときのリスクが増大する──という構造が、日本でも現実になりつつある。
都心に住むことは、誰のためか
利便性の高い場所に住みたいという欲求は自然だ。通勤時間が短くなれば生活の質は上がる。バブル期に神奈川や埼玉から1時間半かけて通っていた世代の疲弊は、相当なものだった。
ただ、こう問い直してみることも必要だと思う。都心に住むことで得た時間は、本当に自分のために使われているか。それとも、より多く・より長く働けるという形で企業側に吸収されていないか。
利便性の高い場所ほど物件価格は高く、その価格を払うためにさらに働かなければならない。そして働けるように都心に住む──この循環を、「豊かさ」と呼んでいいのかどうか。
答えは一つではないが、問わずに流れていくのは怖い。
「損得」より先に問うべき三つのこと
住宅取得を考えるとき、多くの人は「買った方が得か、賃貸の方が得か」から入る。しかしその前に問うべきことがあると、私は思っている。
① その場所に、10年後も住み続けたいか
子供の成長、転勤、親の介護、パートナーとの関係の変化。人生は35年のローンより速く動く。「今の生活の延長」で選んだ物件が、5年後に重荷になるケースは少なくない。
② 収入が今の6割になっても、返済を続けられるか
育児休業、時短勤務、病気、早期退職。どちらかの収入が落ちる局面は、子育て期には必ず来る。ペアローンを組んでいるなら、片方の収入だけでも最低限返済できる金額かどうかを確認してほしい。
③ 価格が3割下がっても、「まあいい」と思えるか
不動産価格の上昇が永続するという保証はどこにもない。60代の世代はそれを体で知っている。「資産になるから買う」という論理は、売れる・価値が維持される・金利が低いまま、という三つの条件が揃って初めて成立する。
それでも「今すぐ決めなければ」という人へ
理想論はわかった、でも子供が生まれて部屋が手狭になった、学区を固めなければならない、家賃を払い続けるのが惜しい──そういう現実的な切迫感の中にいる人も多いはずだ。そうした状況にある人に、追加でいくつか伝えたいことがある。
焦りのまま決めない、だけは守ってほしい。 子供が生まれた直後は支出が急増し、睡眠も判断力も削られる。人生最大の買い物を、最もストレスがかかった状態でするリスクを意識してほしい。2〜3年後でも遅くない場合は多い。
「広さ」より「固定費の低さ」を優先する。 子供のためにと広い物件を選びがちだが、月々の固定費が重くなると、教育費・医療費・予期せぬ出費への対応力が失われる。子供は案外、狭い家でも育つ。親が経済的・精神的に安定している方が、子供にとってははるかに大事だ。
保育所・小学校・病院への近さは本物の価値だ。 駅徒歩分数や築年数より、今の生活に直結するインフラへのアクセスを優先してほしい。特に認可保育所に入れるかどうかは、共働きを前提にしているなら死活問題になる。
「一生住む家」と思わなくていい。 逼迫した状況で選ぶ住まいは、「今の5〜10年を乗り切るための器」で十分だ。そう割り切ると判断が現実的になる。
選択肢は購入だけではない。広めの賃貸に移り、家賃負担が多少増えても、それを一時的なコストと割り切る判断も十分合理的だ。ローンという35年の約束を結ばずに済む分、子供の成長や転勤、収入の変化に応じて次の手が打てる。固定費が重くなるのはローンも家賃も同じだが、賃貸の固定費はいざとなれば引っ越しで解消できる。
もし購入を選ぶなら、「いつでも売れるか」だけは冷静に確認してほしい。駅近・標準的な間取り・ある程度の都心寄りという条件は、住み心地だけでなく、人生が変わったときの出口を確保するという意味でも重要だ。人生は5〜10年で大きく変わる。その変化に対応できる物件かどうかが、長い目で見た最大のリスク管理になる。
「選択の自由」を値段で考える
私が賃貸を続けてきた最大の理由は、損得ではなかった。選択の自由を手放したくなかったからだ。
住宅ローンは35年の約束だ。その間に世界は変わる。自分も変わる。賃貸を続けることで、転居・転職・早期退職・移住といった選択肢を手元に残しておけた。そしてその自由を支えたのが、ローンの代わりに積み上げてきた金融資産だった。
持ち家と賃貸のどちらが優れているかは、人によって、時代によって、場所によって違う。ただ一つ言えるのは、住宅は「生活の器」であって、それ自体が目的ではない、ということだ。
どんな生活を送りたいか。誰と、どこで、どんなペースで。その問いへの答えが先にあって、住宅はその手段として選ばれるべきものだと思っている。
「買うべきか、借りるべきか」ではなく、「自分はどう生きたいか」──その問いから始めてほしい。それだけを、60代の経験から若い世代に伝えたい。

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