私は大学卒業後、新卒で大手銀行に入行し、そのまま定年を迎えました。世間一般の基準から見れば、まずまずの人生だったと言えるのかもしれません。
しかし、60代になり、現役のレールから一歩引いた場所から自分の人生と今の若者たちの生き方を俯瞰したとき、そこには、社会システムと人間の心理が織りなす、ある種の葛藤があったと感じています。それは、最良のゴールを目指したはずのレールが、いつしか個人を縛る不自由なものへと変質していく、逃れがたい構造でした。
今回は、私の親世代(昭和一桁)、私自身の世代、そして30代になった私の子供や令和の若者世代という「3つの世代」が、それぞれの時代でどのような現実を生きて、どのような「幻想」と向き合ってきたのかを振り返ってみたいと思います。
1. 祖父母世代が創り出した「組織と権威への信仰」
私の親にあたる昭和一桁生まれの多くは、商店主や農家などの自営業者でした。当時は大学進学率も1割に満たない時代。彼らは戦中・戦後の混乱期を、泥臭く生き抜いた、圧倒的にハングリーな世代です。
天候や景気に左右され、「明日の生活の目途すら立たない」不安を骨の髄まで知っていた彼らにとって、戦後の高度経済成長とともに整備されていった「大企業サラリーマン」という仕組みは、究極の安定であり、眩すぎるほどの特権に見えました。
彼らは、自分が持てなかった「大学」という学歴や、銀行や官僚機構といったエリート組織に対して、実態以上に高潔で立派な存在であるという、過度なほどの幻想を抱くようになります。
「子供には自分のような泥をすする苦労をさせたくない。大学を出て、立派な組織に入ってほしい」
その一心で、彼らは子供たちをサラリーマンという「約束された安全なレール」へと送り出したのです。彼らにとって、子の「安定」こそが、自らのハングリーな人生の到達点であり、最大の報酬でした。
2. 私たちの世代が求めた「組織という舞台での自己実現」と、その案外なつまらなさ
親の強い願いを受け、私たちは津波のようにサラリーマン化していきました。しかし、私たちの心理は、親が求めた「ひたすらな安定」だけではありませんでした。急速に高度化・グローバル化していく日本経済の中で、私たち自身、それなりに組織という巨大な舞台での「自己実現」を夢見ていた側面もあったのです。
大企業というビッグビジネスの最前線に身を置けば、自営業者だった親たちには想像もつかないような、ダイナミックで大きな仕事ができるはずだ。そう思ったからこそ、厳しい入社競争を勝ち抜く努力を惜しみませんでした。
しかし、現実は残酷でした。何百万人もの若者が一斉に同じゴールを目指した結果、大企業の中は過度に同質なパーツが席を奪い合う、苛烈な過当競争の場となりました。一定の安定と引き換えに、どこか「替えのきく部品」として生きているような、構造的な物足りなさを抱えることになったのです。
そして、外側から見ればダイナミックに見えたビッグビジネスも、内側から見た実態は、案外つまらないものでした。自営業者だった親たちが持っていた、明日の生活がかかっているがゆえの「生身のダイナミズム」や「手触り感」は、巨大なシステムの中では完全に漂白されていました。手続き、根回し、意思決定の遅さ。それは自己実現どころか、不自由そのものでした。
私自身、組織の恩恵を享受し、海外店勤務といったグローバルな最前線を経験する機会も得ました。しかし同時に、足元ではバブル崩壊と金融危機が起き、大手銀行の統廃合という大激動が始まっていました。組織の闇、親たちが神聖視した幻想が音を立てて崩れ落ちていく現実を、私は組織の内側から、身をもって知ることになったのです。
当時の私をその場所に縛り付けたのは、強力な心理の罠でした。大混乱の中でも、私は比較的恵まれた立場を維持できていました。人間は、「今あるものを失いたくない」という損失回避バイアスや現状維持バイアスが強く働きます。さらに、それまで必死に耐えて築いてきたキャリア(サンクコスト/埋没費用)を捨てて、拠り所のない海へ飛び出す勇気は、当時の社会通念の中では、心理的に不可能に近かったのが本音です。
3. 子供世代が生きる「最初から幻想のない世界」と解放された武器
3つの世代を振り返ると、その変遷が鮮明に見えてきます。
- 昭和一桁世代:自営業の厳しさから「安定と組織」を盲信した(幻想の創出)
- 私たちの世代:安定と自己実現を求めて巨大な舞台へ向かったが、その案外な不自由さとつまらなさに気づきながらも、現状維持に囚われた(幻想の崩壊と葛藤)
- 令和の若者世代:最初から組織を信用せず、自分の足で歩こうとしている(幻想なき世界)
そして今、私の子供を含めた令和の30代や、これから社会に出る新卒世代がいます。彼らは、私たち親世代のような「過度な組織信仰」が最初から綺麗に剥ぎ取られた世界を生きています。組織や権威のメッキが完全に剥がれ落ちたあとの景色を、デフォルトとして眺めているのです。
私たちの世代にとって、グローバルな経験は組織から選ばれた者だけが手にできる特権でした。しかし今の若者にとって、海外は圧倒的に身近な存在です。さらにITと金融の劇的な進歩は、かつてプロしか扱えなかった高度な投資環境や、収入を多様化させる様々な手段(副業、SNS、個人開発など)を、彼らの「手のひらの上(スマホ)」に解放しました。
結果として、大企業という組織に身を置きながらも、それらを巧みに乗りこなし、組織の外側に「自分で泳げる海」を築いている猛者のような若者たちがごく普通に存在しています。会社にしがみつくバイアスは、彼らには最初から存在しないのでしょう。
4. 「自立」と「孤立」――構造が求める新たな覚悟
しかし、この自由で面白い時代は、決して万人にとってイージーなユートピアというわけではありません。ここには、前世代とは違うベクトルでの過酷な現実が横たわっています。
かつての組織には、良くも悪くも「人間同士の泥臭いきずなや、もたれ合い」がありました。それは時に煩わしい同調圧力でしたが、同時に、不器用な人間を組織全体で包み込むセーフティネットでもあったのです。
現在の若者たちは、そうしたウェットな人間関係をスマートに削ぎ落とし、互いに不可侵な距離を保っています。さらに、かつては社会のレールが自動的に用意してくれた「家族という最後の砦」すらも、今は個人の意思と実力に委ねられる時代になりました。
構造が明快になった一方で、時代がもたらした最先端の武器を主体的に使いこなし、自立したパートナーと強固なミニマムの共同体(家族)を築いて孤立を回避していく者がいる一方で、変化のスピードについていけず、組織の温情も家族の砦も持てないまま、本当の意味での「剥き出しの孤立」に直面せざるを得ない若者たちも確実に存在します。格差は個人の生存戦略の差として、よりダイレクトに現れる時代になったのだと感じます。
結び:明快な構造をハックし、私たちの世代を超える若者たちへ
こうして俯瞰すると、現代は確かにタフで、自己責任の重い時代です。昔も今も人間は常に自己責任の中に生きており、成功と失敗の淘汰はありましたが、拠り所がないという意味では、前世代より過酷かもしれません。しかし、私はこの時代の変化を決して悲観的に捉えているわけではありません。むしろ、逆だと思うのです。
かつての私たちの世代は、組織という不条理で不透明なブラックボックスの中で、自己実現を夢見ながら、その実は案外つまらないシステムに翻弄されていました。それに比べれば、現在の令和のゲーム盤は、冷徹ではありますが「構造が極めてクリア」です。
この明快な構造を正しく理解し、自立の覚悟を持って「巧みに泳ぐ戦略」さえ身につければ、今の若者たちは、私たちが大企業にしがみついて必死に守ろうとした安定など比較にならないほど、素晴らしい自由と豊かな人生を手に入れられるポテンシャルを持っています。組織をスマートに利用しながら、多様な手段を総動員して人生の可能性を広げている若者たちは、その体現者です。
私には、今の若者たちに向けて押し付けがましいメッセージはありません。ただ、このタフで、だからこそ戦略の立て甲斐がある最高に面白い時代に、彼らがどんなブルーオーシャンを切り拓いていくのか。
定年を迎えた場所から彼らの鮮やかな挑戦を眺めるのは、羨ましさを通り越し、むしろ清々しいほどの興味深さと、彼らの未来に対する大いなる期待に満ちています。

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